メッセージ

K君へ

世代交代とはむずかしいもんである。前任者がそれなりの実績を残し周囲からも惜しまれつつ勇退した場合などの後任者のプレッシャーは並大抵ではないのではないだろうか。

このような場合、周囲からの不安もあるであろうし、当然、前任者と同じだけの実績を求められるであろう。

しかしながら、良くも悪くも価値観や器量は違うわけで、おのずと結果も違ってくるのは当たり前であるし、逆に同じようなことをやっていたのでは単なる「コピー」になってしまう。

前任者からしても、胸を張れるだけの実績を残した自負があるから自分と後任者を比較してしまいがちであるし、時には助言のつもりが「イヤ言」になってたりするであろう。

K君、君は君であるから前任者にはできたことができないこともあるでしょう。しかし逆に前任者ができなかったことを君がやってのけることもあると思う。

たしかに評価というものは周囲の人間がするものである。「非難」を受ける結果になることもあるでしょう。

しかし、それを恐れ無難に小さくまとまったりはしないでもらいたい。

君の価値観で正しいと思うことをどんどんやっていってもらいたいと思います。

K君頑張って!!応援してます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「御花御礼」のコメントについて

今回は「御花御礼」でコメントいただきました名無しさんへの返事ということで記事を書かせてもらいます。
名無しさんコメントありがとうございました。誤解の部分があるのと、素直に謝るとこがあるので返事を書くことにしました。

まず、「頭を降りても頭のつもりか?」って部分ですが、おことわりしとかないかんのは、まったくそんなつもりはサラサラないってことです。確かに去年で頭を降りました。ほなけどこの一年間、執行部のみんなと心を一つにして自分なりに去年までと同じ気持ちで祭に取り組んできたのは事実です。そういう部分があなたには歪んで取られてしもたんかもわかりませんね。

「気が小さい」ってとこは間違いではないと思います。人間は誰でも生まれ持ってきた「器量」っていうのは個人差があります。俺は自分の器量の中で祭をしてきたわけで、その結果が名無しさんの思い描く祭とは掛け離れとったんやと思います。ただわかっといてほしいのは、そういう器量の小さい人間でも頭をしていかないかんくらい明組の人材は少ないんです。赤い腕章巻いたけんって器量のあり大きい人間になるわけではないですよ。どうもお話の内容から察しますと俺よりは器量って部分で勝っとるみたいなんで、頭なさってみたらいかがですか?

「大橋の勢い」っていうんも、何をもって「勢い」なんかが意見の食い違うとこなんじゃないんですかね。

明組でのキャリアが長い短いの話ですが、正直俺は外様の意識を持ってます。だから逆にこの10年間一生懸命やってきました。それは胸を張って言えますよ。キャリアが長い短いの問題ではなく、どれだけ明組のために労を惜しまず仕事をしてきたかではないでしょうか。


最後に謝らないかんとこは、ご指摘のように自分で「ちょうさは担いでなんぼ」と言いながら今年は全く担いでなかったというか担げなかったという部分です。細かい事情は置いといて、立派なことを言よりながら事実担いでなかったんやから、これは俺も悪かったと思います。すみませんでした。

来年以降の祭における自分自身の身の振り方を考える機会を与えてくださった貴重なコメントをいただきまして、ほんとうにありがとうございました。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

一流とは?

昨日、仕事で徳島に行ってまして考えさせられることがあったもんで少し喋りたいと思います。

仕事の待機時間があったもんで車の中でボーッとしよったら、気のせいか鉦の音が聞こえてきまして、よく聞いてると太鼓の音も聞こえるし「なんで今頃阿波おどり???」

仕事先のおっちゃんに訊いてみたとこ、「おう、もう練習しよるぞ」とのこと。

「えらい早いですね」

「ほら、早よからせんかったら新しいに鉦や太鼓始めたんが間に合わんが。7月入ったら毎日じゃ」

「へ?」

「この辺は民家がないけん夜中まででも練習できるしのー」

「遅までするんすね」

「不細工なん見せれんだろ」

「…」


刺さりました…最後の一言。

早よから練習しよんもすごいと思たし、夜中まで練習するんも感心した。ほなけどやっぱり「不細工なん見せれんだろ」ってセリフが一番すごいと思た。阿波おどりが一流の祭やってことがこの一言に凝縮されとる。
確かに阿波おどりは観るのにお金がかかります(桟敷に座るのも、「阿波おどり会館」で実演を観たりするのも)こういう心構えも当たり前なんかもわかりません。でもお金が絡む絡まんは関係なしに観てくれる人がおるんやけん、こういう心構えは見習うべきとちゃうかな?


昨今の志度の祭でギャラリーが減った減ったとよく話題に上ります。純粋な祭礼である以上ギャラリーが必要とは思わんけど、志度の祭の性格を考えたときにはやはり切れんもんじゃないのかなと。
俺より上の世代の人から以前「ギャラリーが減ったんはお前らがつまらん祭しよるけんじゃ」って言われたことがあるんやけど、「ほな、あなた方はギャラリーのことを考えながら祭してきたんですか?」って言いたい。考えよったんは、自分の地区のプライドや他の地区への対抗心だけやと思う。そのプライドにしても「けんか」が強いんが一番みたいな勘違いなもんで祭の中でもっともっと持たないかんプライドからはかけ離れてしもとるんじゃないかなとも思う。
自分ちのちょうさにプライド持っとんなら、駅前でよっけ人が観よんのにふらふらしたり、手担きでいったりせんと、ビシッ!とちょうさが上がっとって、太鼓がよう鳴っとって、精一杯の声出して。そんなんが「不細工なんは見せれん」ってプライドであり「魅せる祭」なんとちゃうかな?


一流って呼ばれるんは自分ではどうしようもないし、プライドってのも持とうと思て持てるもんじゃない。
まずは「不細工なん

| | コメント (2) | トラックバック (0)